香りの歴史はフィレンツェから始まった
中世のフィレンツェはメディチ家の隆盛により世界でも類を見ない豊かな都市となっていました。ルネッサンス期にはミケランジェロ、ダ・ヴィンチなど多くの芸術家を生み芸術と商業の都として栄えたことは知られています。中でも15世紀にフィレンツェを統治したメディチ家のロレンツォ・ディ・メディチは豊かな財政を背景に、フィレンツェ文化を花咲かせました。サンタ・マリア・ノヴェッラもこの豊かなフィレンツェ文化の中で生まれ、
「香りと癒し」をドミニコ修道会の教えを基に発展させていきました。
17世紀に入り正式に薬局としての活動をはじめると、その名声はフィレンツェ内にとどまらず世界へと知れ渡るようになります。17世紀当時の顧客リストには、メディチ家をはじめヨーロッパの王侯貴族の名前も多く記され、18世紀には遠くインドや中国への輸出も始まり、多くの製品が歴史を刻み、まさに時代の象徴となりました。そもそもメディチ家自体が薬や香料、香辛料などの商売で財を成した一族。“Medici”は、後に“薬・医療 Medicine”の語源ともなっています。
サンタ・マリア・ノヴェッラとメディチ家との関係は深く、16世紀、カテリーナ・ディ・メディチがフランスのアンリ2世へ嫁いだ際に、特別に調合された「アックア・デッラ・レジーナ」(Acqua della regina)は、カテリーナ王妃によりフランスにもたらされ、その後ブルボン王朝の貴婦人たちの間で大流行しました。この香りは「王妃の水」と呼ばれ、現在まで生産されている「サンタ・マリア・ノヴェッラ」の香りであり、現在のオーデコロンの起源といわれています。ちなみにオーデコロンという名称は、旅商人のジョヴァンニ・パオロ・フェメニスが、旅の途中に立ち寄ったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、修道尼より手に入れたといわれる「王妃の水」のレシピとともに、1725年にコローニア(ケルン)市に居を構えて生産を始め、この地名から「アックア・ディ・コローニア(イタリア語/Acqua di colonia)」(仏語オーデコロンEau de Cologne=ケルンの水)と名付けたのが、由来とされています。さらに、このオーデコロン「王妃の水」は、フェメニスの後継者であるジャン・マリア・ファリーナにその秘密のレシピがわたり製造が続けられ、「7年戦争」の間、ケルンに宿営していたフランス軍が、その後母国でこの香りを広める事になりました。
サンタ・マリア・ノヴェッラの香りは、当時フランスで使用されていた香水よりも繊細で軽やかだったためセンセーションを引き起こしたといわれています。
「王妃の水」をはじめサンタ・マリア・ノヴェッラの製品はフィレンツェの歴史に育まれながら、さらにヨーロッパ、世界へと広がっていきました。