ドミニコ修道士の“癒し”の思想が起源です
世界最古の薬局として知られるサンタ・マリア・ノヴェッラの歴史は、1216年に創設されたドミニコ修道院と共にあるといっても過言ではありません。清貧と学究で知られるドミニコ修道会はまた聖ベネディクトの教えの通り、救済も大きな教義のひとつとして掲げていました。事実ドミニコ修道院の内部には看病のための専用の部屋がもうけられ、庭園にはハーブが栽培されるのが常でした。
13世紀〜
1221年にフィレンツェの小さな修道院、サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne=ブドウ畑の中の意味)で私たちの製薬活動は始められました。後にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展するこの小さな教会で二人の修道士が医薬的介護を始めたことが記されています。現存する最古の処方は1381年。この年に初めて修道院でローズウォーターが販売されたといいます。当時の記録によるとローズウォーターは消毒効果があると信じられており、ヨーロッパ全土をペストの恐怖が襲った際には家の殺菌にも使われたと伝えられています。またワインを薄めたり、薬を飲む際の水代わりにも使われたようです。
16世紀〜
1542年には独立した元帳がつくられることになり、薬に精通した信徒が薬局の責任者に任命されます。こうして修道会の診察活動として始まったサンタ・マリア・ノヴェッラは、1612年、正式に薬局として認可され活動をはじめます。薬局の初代薬局長はフラ・アンジョロ・マルキッシ(Fra Angiolo Marchissi 1592−1659)。聖職者でありながら植物学のみならず科学的な知識も駆使し研究所の名声を高めました。彼はトスカーナ大公メディチ家のフェルディナンド2世からの信望も厚く、薬局は「フォンデリア・ディ・スア・アルテッツア・レアーレ(王家御用達製錬所 Fonderia di Sua Altezza Reale)」の称号を得るまでに成長しました。マルキッシ亡き後も優れた後継者に恵まれ、17世紀にはイタリアのみならず多くの国々で販売されるほどにサンタ・マリア・ノヴェッラの商品は著名となり、フィレンツェを訪れる旅行者にとって必ず立ち寄るべき場所になったといいます。当時人気があったのは、香水、クリーム、ソープなど。その多くが今も手に入れられるという事実は、いかに当時の研究・技術が優れていたかの証です。17世紀から18世紀にかけて薬局を発揮したフラ・アンジョロ・パラディー二(Fra Angiolo Paladini 1644−1707)は修道院の外観も含め大規模な改修を行いました。
後任のフラ・コジモ・ブチェッリ(Fra Cosimo Bucelli 1716−1788)は外科医であると同時に学者としても極めて優れた人物で、様々なプロダクツの生産が可能になり、アイテムは飛躍的に多彩になりました。中でもリキュール・アルケルメスは健康維持の薬として知られ大成功を収めました。この時期にすでに輸出先は中国にまで拡大していたという記録が残されています。
20世紀〜
19世紀に入るとイタリアを制圧したナポレオンにより修道会自体の活動が制限され、一時閉鎖に追い込まれます。しかし病気治療に向けての薬剤などの生産の必要性が認められ、地代をフランス政府に払うことを条件に、薬局は活動を再開します。この時の薬局を指揮していたトマソ・ヴァロリ(Tommaso Valori 1750−1825)は一信徒に戻る際、薬局のすべてを購入したが再び修道院に寄付します。その後継者でドミニコ会系列の最後の薬局長となるフラ・ダミアノ・ベニ(Fra Damiano Beni 1806−1869)は薬局の運営を僧侶たちの手から信徒たちに移すことにし、甥である、チェーザレ・アウグスト・ステファニ(Cesare Augusto Stefani)がサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の全ての財産、商標、権利を購入しました。この決定は修道会、僧侶からは当然反感を買うこととなりましたが、折しも起こった宗教弾圧から薬局を救うことになりました。複雑に絡み合う宗教と政治の世界から薬局を独立させ、信徒たちの手によって運営されることで、伝統と歴史を今に伝えることが可能になったのです。ヨーロッパの諸侯・貴族から愛され、香りの芸術と謳われたサンタ・マリア・ノヴェッラ。その歴史はドミニコ修道会と優れた薬局長たちのたゆまぬ努力と研究、それを引き継ぎ現在で四代目となるステファニ家の伝統に対する深い慈しみがあるからだといえるでしょう。
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